- 94 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 21:58:03 ID:kyXH3uI.0
さんさんと照りつける太陽と、木々たちの間を抜ける涼風。
そしてどこからでも聞こえる虫の音が、山中にあるこの場所の趣を感じさせる。
だけど自分にとっては、しんしんと降り積もる雪に染められた、一面の銀世界こそが原風景だ。
それへの愛しみをも反芻しつつ、僕は母の墓前に手を合わせていた。
('A`)「また帰ってきたよ。
去年は帰って来れなかったけど」
地元へと帰省するたび、ここ何年かは必ず最初に訪れるのがこの場所だった。
仕事の都合で冬場に帰ってくることは出来ず、こうして夏に2日3日の休暇を取っては、母の墓参りに舞い戻る。
2年に一度も顔を見せに帰ってこなかったような息子が、しかし母が亡くなった6年前からは必ず毎年顔を見せるようになったそうな。
- 95 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 22:00:20 ID:kyXH3uI.0
そうなる時まで、電話口だけでなく、母から時折届けられた書面の文字からも、僕は気付く事が出来なかった。
数年前に切除していたはずの母のがんが再発して、それが手遅れの段階まで転移していた事に。
時を遡れたら、母をもっと早く病院へと連れて行ってやっただろう。
自分が仕事に夢中になるあまり、たった一人の母親に対してどんなにか辛い思いをさせたと自分を叱るだろう。
あの時は、何日にも渡って悔やんだものだ。
あまりにひどくむせび泣いていたのを、自分でもよく覚えている。
奇跡を起こしてくれ、目を開いてくれ、母ちゃん、と。
そう泣き叫び、許容しがたかった現実に打ちのめされて与えられた心の傷は、今はようやく癒えたと思う。
うちの家は片親だった。
それが大変だと言う人もいれば、いや普通だろうと言う人もいる。
だが子供からしてみればなんのことはない、僕もそれが当たり前の日常だと感じていた。
- 96 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 22:03:04 ID:kyXH3uI.0
小学校、中学校と転校することもなく、幸いにして大事な友達は数えるほどには出来た。
6年前、母の葬儀にも参列してくれた内藤とは、犬猿とは嘯きつつも親友と言える間柄。
それを作るために、自由奔放に遊び回れた過去があったのは、やはり僕を育ててくれた母のおかげだ。
自分が小さい頃、場末でスナックを経営していた母。
けっして容姿端麗とは言えないものの、人柄が良く愛嬌のある母にはたくさんの常連さんがついた。
父親と言える人はもうこの世にいないが、その人とも、そこで知り合ったようだった。
夜ごと、店の口開けに出かける母親を見送ってから、たった一人で八畳二間の一室で眠りにつく。
TVで見た心霊番組の事を思い出した夜は、おばけのたぐいが怖くて眠れずに布団にくるまったりもした。
ものすごく現実味のある怖い夢を見た時には、いてもたってもいられなくなり、薄い毛布一枚を胸に抱えて家を飛び出し、
夜の街頭の下をとぼとぼと歩いては母親の働いているスナックに行ったこともある。
そうして店に行った時、赤ら顔の酔っぱらいのおじさんたちは皆やさしかった。
また別の時にはこづかいをくれた事もあるが、それは実を言うと、母の懐行きなのだ。
- 97 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 22:04:22 ID:kyXH3uI.0
決して贅沢に暮らせていた訳ではないけれど、狭いながらも楽しきわが家。
血のつながりのある人からの愛情を感じながら育つ事こそが、子供にとって最大の幸せだと思う。
そして親は、我が子の幸福を自分のことのように感じて喜ぶ事ができる。
だけど、そんな母自身は、自らの幼少時代を僕と同じようには過ごせない子供だった。
山子の父はビルをこさえられるほどの借金を博打で作り、家では暴力を振るうこともあった。
さらには貧しい環境にありながらも働かない夫に頭を悩まされて、祖母は精神を病んでいった。
まだ幼い母を家に置き去りにして、祖母は知人を転々と訪ね、よく家を空けるようになったらしい。
その頃はまだ赤子だった自分の弟の面倒を見させられながら、一人苦労を強いられた幼少の母は、毎日涙をにじませる思いで日記に愚痴を綴った。
それでも文句一つ言わず、決して祖母の前では弱音を吐くことがなかったというのは、以前母の口から聞いた言葉だ。
でも、そんな父でも、母でも。
母にとってはかけがえのない両親だったのだろう。
- 98 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 22:06:37 ID:kyXH3uI.0
なんとなく僕がそう思っていたのは、ひどく憤慨したように時たま昔の愚痴を吐く母の瞳に、
自分を放っぽり出した事への恨みが根ざした様子など、幼心にはみじんも感じ取る事が出来なかったからだ。
最期は、祖父と祖母の二人共が重い病に倒れた。
血のりを口元に固まらせ、ショッキングなほどにやつれてしまった祖母に、病院側は孫の面会を拒んだそうだ。
その時の僕が、メガネを曇らせて母が泣いている意味も理解できないような年頃だったからであろう。
今にしてみれば、その時のお医者先生が恨めしくも思う。
そういえば、少し小金が入った時には母は必ずあれを買ってきていた。
ろくに線香もあげない祖母と祖父の仏壇に、狭苦しく仏具の隙間に詰め込むようにして、それを置くのだ。
「すあま」というお菓子だ。
- 99 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 22:09:17 ID:kyXH3uI.0
1日置いたあとなら食べてもよいと言われていた僕も、これを好んでいた。
ほどほどにあまくて、もちもちとした食感に、腹ごたえのある餅菓子。
ピンクや白色が目にも鮮やかで、ぎざぎざに波打ったような形が、なんともおもしろい。
まるで太いなるとのような、縁起のよいお菓子である。
すあま。
言葉に出してみても、なんだか響きが柔らかでいて、可愛らしい語感が気に入っている。
どうしていつも母がこれを買ってくるのか、昔はわからなかった。
生前の母も口にしたことはなかったため、この先もわからないままだ。
だが何となく、祖母がこのお菓子を好きだったのではないかなと、今は思う。
祖父や祖母に対していい思い出がないと常々言っていた母もきっと、
心の底から祖父や祖母の事が嫌いだった訳ではないのだと思う。
―――みーん、みんみん。
- 100 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 22:11:33 ID:kyXH3uI.0
母との懐かしい思い出に想いを巡らせ、ぼうっと墓前に突っ立っていた僕は、虫たちの鳴き声にやがて視界を取り戻す。
時計もなにも無いが、ただ陽炎の立つ地面だけが真昼どきの夏の暑さを報せてくれていた。
今では、何年も、何年もの間都会でがむしゃらに働いているうち、それなりの生活をおくれるようになった。
これから生涯をかけて、愛していこうと思える伴侶とも巡り会えた。
そうして、また別の愛する人とも、これから巡り会えるのだろう。
川 ゚ー゚)「おかあさん。
わたしも、もうすぐおかあさんになるみたいです」
('∀`)「こっちとしては残念だけど、きっと見てくれてるかな」
- 101 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 22:13:18 ID:kyXH3uI.0
昔、母と二人で住み暮らしていたアパートは、いつの間にか取り壊されてのっぺらな駐車場になっていた。
昔、母が人気者として賑わいを見せていたスナックのあった土地は、すぐ向かいの魚屋が買い取っていた。
母が祖母や祖父と暮らした生家も、とうの昔に博打のかたに抵当に入れられ、売り払われている。
母や、僕が母と暮らした思い出の中で、形としてこの場所に残っているものは何一つもない。
けれど、母の眠るこの場所こそが、僕にとっては実家というものだ。
母さん―――「すあま」、お供えしておきます。
また明日、内藤の家から向こうに帰る途中で、食べに来るけれど。
内地の気候にすっかり身体が慣れた自分には、北海道の夏の風はとても涼しい。
今度は無理を押し通して冬に帰って来てみようと、妻と二人で話した。
- 102 名前:名も無きAAのようです :2013/10/30(水) 22:17:11 ID:kyXH3uI.0
- >>93-101
祭りなるものがあるらしいのでと思って勢いで書いたんだけど、
あまりに辛気臭くて踏みとどまったすあまテロでした
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