1 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:03:34 ID:8GCwYc1E0
お母さん。

たびたびのお手紙、感謝しております。
その文面を読み返すたび、故郷を想う切なさに胸が詰まる思いです。

さて、常日頃から筆無精な私でありますから、母上はこの手紙に驚かれるかも知れません。
家を守っていらっしゃる母上に手紙の一つも書かないなぞ、私は非道い不孝者でしょう。

まだ私には自分の身に降りかかっている状況の真意が見えておらず、
故に母上への手紙を書き起こす腹づもりになれなかったのかもしれません。

申し訳ありません。

しかし、物の喩えで云うならば、便りが無いのは元気の証拠、でありますから、
私が今日まで身体を壊さずにしっかりとやってこれたことを、わかってくださるでしょう。

このたび私が筆をとったのは、ようやく自分自身の決心がついたからであります。
しかしその前に、私は母上に申さねばならないことがありません。

お母さん、貴方は私が以下に記す体験を世迷い言と捨てるでしょうか。
到底信じられないものに対して、お母さんは耳を傾けてくださいますか。

実は私にもよく分かっておらぬのです。
だから私はそれをありのままに書き記すしか仕様がありません。

2 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:06:02 ID:8GCwYc1E0
あれは確か昨夜の出来事であったろうと思います。
私がいつも通り寮の寝床に身を横たえていたところに、ふと、
真っ白い光のようなものが全身を包み込みました。

私は、これはまた珍しい夢だなァと、そう考えておりました。
当夜はとても眠れるような心中ではありませんでしたが、
そういう日には決まって夢見が良いものです。

ですから私はその時点ではまだ、特段の不思議を感じてはいなかったのです。
いつものように夢が来て、そして去りゆくものだとばかり思っておりました。
しかしその夢は、矢張り普段のそれとは随分毛色が違うものであったのです。

真っ白の光に包み込まれた私はその儘、まるで体重を失ったかの如く浮き上がったのです。
いや、視界も定かではありませんでしたから、真相は確かではありません。
しかしながら私は、確実にどこかへと移動しているような心地だったのです。

それが一分弱、続いたでしょうか。やがて光が、溶け出すようにして消えてゆきました。
この間に何があったのか分かりません。皆目見当もつかないのです。
しかし事実を有りの侭に記載するとするならば、私は六畳程度の狭い洋間に立ち尽くしていたのです。

その部屋の装飾品や間取りには全く憶えがなく、
そればかりか、見たこともないような恰好の機械や雑貨が散らかっておりました。
それで、私はつい目を白黒させてしまって、「何だ、ここは」と叫んだのです。

ここで私は初めて気付きました。
六畳間の隅、灯りの届かぬ暗がりに、一人の男が座しているのを。

3 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:08:05 ID:8GCwYc1E0
男の背格好は私よりも幾分か年上であるようで、随分頬がこけておりました。
私も相当に驚いた表情をしていたと思料するのですが、
彼の者もまた、目をクッキリ見開き、私を見つめておりました。

そのようにしていても詮方ないので私は努めて冷静に「ここは、どこでありますか」と訊ねました。
しかし男は私の問いには端から応えるつもりも無いように、口の端を引き攣らせて笑ったのです。

( ´_ゝ`)「……なんだ、例のコピペの再現か?」

男の発した言葉の意味が分からず、私は戸惑いっきりでありました。
すると男は私の胸の辺りを指さして、更に続けたのです。

( ´_ゝ`)「その服装」

そこで私は初めて、自分の身につけているものが普段の制服であることに気がつきました。

( ´_ゝ`)「ここは妹の部屋じゃない……。弟の部屋ですらもない。
      妹の部屋は斜向かいだ……」

「どういう意味だ」と発した私の問いを無視して更に男は続けました。

( ´_ゝ`)「……そういや、あのコピペは兄が妹の部屋で自殺している、とも云われてるんだったな。
      だとしたらある意味で正解かも知れない……けれど、どちらにせよここに出るのはお門違いだ」

男は皮肉めいた顔をして私を糾弾するような口調で言い切ったのです。

( ´_ゝ`)「死んだのは妹じゃなく、弟だ。そして死に場所は妹の部屋じゃ無く駅のホームだ」

4 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:10:11 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「そうだな……お前が何者かは知らないが、どうせ幽霊かその類だろう。
      何でもかまわない。ちょっと俺の話に付き合ってくれないか。
      もうそろそろ、独りで抱え込むのにも飽きてきたところなんだ」

私はもう、この時点でいよいよもって理解が追いつかなくなっていたのですが、
一旦整理しますと、どうもこの男には弟と妹がいて、うち弟の方が自決を図ったらしいのです。

私には兄弟というものがおりませんからよくわかりませんが、
恐らくは惨たらしい程の哀しみであったでしょう。

しかし斯様な時代の勇ましき男子が自死に至るのもまた、
その魂に重き決意が込められていたに違いありません。

故に私は、それが夢であると確信していたからでもありますが、男の唐突で不躾な要求に、
否定することなく首肯してみせたのです。その男の話に、黙して耳を傾けることとしたのです。

( ´_ゝ`)「……ま、座れよ」

言われるが侭に私は男の近くに腰を下ろしました。
その床は矢鱈上等な絨毯であり、恐らくは西側のものでありましたが、
敢えてそれには言及せずに、私は男の話を聴くこととしました。

5 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:12:04 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「……去年の春に、弟が就職したんだ。
      弟は大卒だったが昨今の就活事情のおかげで仕事に恵まれず、
      結局は聞いたこともないような安居酒屋に総合職として採用されることになった。

      俺はその時点で相当な危機感を抱いていたよ。何しろ居酒屋の店員だからな。
      冗談交じりに何度か止めておけと言ったんだが、あいつは聞かなかった。
      まあ、そりゃあそうかもな。碌に職にもありついていない俺に何も言える話じゃない。

      それに、俺にだって多少の慢心はあったわけだ。あいつは俺と違ってよく頭ができている。
      だからいくら居酒屋店員がブラックだからと言って、まさかあいつが潰されることもないだろう。
      あいつのことだ、そのうちそれなりにマシな転職先を見つけてくるはずさ……。

      両親がどう考えていたのかは分からない。ただまあ、割と喜んで送り出していたよ。
      今となっちゃあ腑抜けみたいなもんだが……そいつは仕方がない。
      妹はあいつを祝うと同時に俺を小馬鹿にしていた……クソみたいに遠く見える思い出だ。

      そして弟はいよいよ働き始めた。
      研修で必要なんだと、それまで手に取ることもなかった自己啓発書を読み始めて、
      よく分からないマナーか何かの問題集にも取り組み始めた。

      まあ実際当初のあいつはそこそこ楽しんで仕事をしていたんじゃないだろうか。
      小さい頃に俺と二人で夜中に親に隠れてスーファミなんかをしてたが、
      あいつはあの時と同じような感覚で、夜中の労働をやっていたのかもしれない。

      だから最初は疲労なんて見えなかったし、あいつも見せようとしなかった。
      給料が安いことにはたまに愚痴を吐いていたが、それぐらいのもんだったよ。
      けれど会社は、もしくは世の中っていうやつは、確実にあいつの精神をすり減らせていった」

6 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:13:50 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「俺は思うが、そもそもからして、学生層がメインの低価格居酒屋なんざ、
      真っ当な人間の勤める先じゃない。そこに集まる碌でもない連中の奇声を聞き続けて、
      頭がおかしくならない方がどうかしている。家族的でない、赤の他人のチェーン店なら尚更だ。

      俺は昔、大学の連中とたまに居酒屋で飲むことがあったが、
      大抵の店員はマニュアルを繰り返すだけの眼の死んだ機械だったよ。
      そういうもんだ。あれはそういう社会の文化で、それを弟一人で打開できるはずもない。

      半年ぐらい経ったところで俺はようやくあいつの異変に気が付き始めた。
      明らかに眼の焦点が定まっていなかったんだよ。
 
      あいつは、ちょっと疲れているだけだと言っていたが、
      俺が知る限り、あんなに危ない目をした弟を見るのは初めてだ。

      それでも弟は大抵が夜の勤務で土日も勿論働いていたから、顔を合わせる機会が殆ど無かった。
      だから家族の誰もがあいつの変調を奥底から理解してやれなかったんだと思う。
      徐々に壊れていく弟が、その姿を浮き彫りにさせる頃にはもう遅すぎるんだ。

     俺も少しは弟と腰を据えて話したかったが、たまの休日にあいつはいつも眠っているし、
     そんなあいつをわざわざ起こしてやるのも可哀想だと思って、結局何もできなかったんだよ。

     ……でな、別にどうすることもなく過ぎていったある日に、俺は偶然、
     弟のTwitterアカウントを見つけたんだよ」

7 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:15:35 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「Twitterなんて分からないか……まあいい。
      ともかくそれは明らかに弟だと分かるもので、身内なら容易に特定できる代物だった。
      別に今更弟のネットでの様態を知りたくもなかったんだが……。

      俺は何の気もなしにそのアカウントのツイートをぼんやりを眺めていたんだ。
      そうだな……大体、あいつが仕事を始める一ヶ月ほど前ぐらいまで。
      そうしたら……分かりたくもなかった、あいつの呟きの傾向が順々に読み取れたんだ。

      そう、一ヶ月前から会社に入って直後の間、あいつのツイートは幸福に充ちていた。
      前向きなツイートとリツイートに加えて、自分の決意みたいなものを持ち合わせていたんだ。
      それこそ社会人としてちゃんとやっていこうって思いがしとどに溢れていたよ。

      初任給をもらった時のツイートなんて感涙ものだ。
      自分のしてきたことにお客様や会社が感謝をしてくれているんだと思う、って。
      あの頭のよかった弟にこんなことを云わせるんだから、まったく社会というのはよくできてる。

      それが徐々に少なくなっていった。ツイートの数自体も減っていったんだが、
      段々と話が精神的な方向へ走り始めていったんだ。
 
      曰く何とかという会社の創業者の名言だのの丸写しが増えていって、
      自分の言葉で語らないようになっていったんだ。そして時たま呟かれるのは、
      今日も上司に怒られた、客のクレーム、残業、なんていう疲労感ばかりだった。

      そして直近の呟きの殆どはあいつの好きなロックバンドの歌詞を引用したものだった。
      歌詞、歌詞、歌詞、自己啓発、歌詞、歌詞、てな具合で、自分の言葉を失くしていたよ」

8 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:18:42 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「なあ、あんたにも分からないだろうが教えてくれよ。
      ロックバンドの歌詞に共感できる程度の人生に、
      自己啓発書の太字に縋らなければならない程度の夢に、いったいどれほど意味がある?

      理想論が悪いわけじゃない。問題は理想を叶えられない現実の方だ。
      前を向いて歩こうなんてのたまうバンドマンはいずれ成功者でしかありえない。
      自己啓発を促す輩なんて、結局は躁病患者みたいなもんだ。

      他人に夢を与えて、無理矢理持たせて、それを糧に生きていけと、連中は豪語するんだ。
      そしてそれを信じきった弟みたいな人間は、引用文に溺れて自我を喪失する。
      フォローの多くがそういう啓蒙のbotなのを見た時なんて、憐れを通り越して怒りを覚えた。

      しかしそれが弟でなければ、その辺の創造力皆無のアカウントと変わりない。
      他人には、弟がおかしくなったと見られていないかもしれない。
      ならば、今の時代、この程度の愚鈍な呟きは若者の当然の行為なのかもしれない。

      なんて、徒然に考えた俺は結局それ以上Twitterを追うのを止めた。
      俺は弟の足元にも及ばないような無能だから、何にしても行動の選択を間違える。
      そして後になって悔やむんだが、それも結局大した罪悪感じゃないんだ。

      ああ、まあ、俺なんていうのは、そういうもんなんだろうなって、気付いているから」

9 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:20:07 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「ある日に久々に弟が休みで居間にいた。
      ソファにもたれて携帯をいじっているあいつを見て、
      俺は特別何を考えるわけでもなしに、ふいとその画面を覗いたんだ。

      あいつはネットで検索していた。キーワードは、居酒屋店員、夢。
      俺はもう何か辛抱たまらなくなって弟に言ったわけだ。
 
      おい、お前、そうやって他人の夢ばかり見るのも結構なことだがな、
      現実問題としてお前は随分と追い詰められているんじゃないのかい。
      先にそっちを解決してから、前を向いたほうがいいだろう、と。

      すると弟は、ゆっくりと俺のほうを振り返って、俺の顔に向かって眩しそうに眼を細めた。
      その表情はやや痩せこけていたような気もするが、俺の思い込みかもしれない。
      やがて口を開いた弟の台詞には、俺に向かっての殺意が込められていたよ。

      『けれど、兄者が働かないんだから、どうしようもないじゃないか。
      ぼくたちは社会人なのだから働かなければならない。この社会に感謝をするんだ。
      自分たちの義務は果たさないといけないよ。それが僕たちが生きるということだ。

      ぼくは兄者とは違う。みんなが笑顔になれるように、僕は僕にできることをするよ。
      喩えそれが苦しく困難な道であろうとも、僕にしかできないことはきっとあるはずだ。
      だからともかく前を向いて、社会から感謝される存在にならなきゃいけないんだよ』

      胡乱に呟く弟を見つめて俺は自責の念に駆られた。
      だが、俺はそれを差し置いてさえ、この世の中を憎みたくて仕方が無かったよ。
      いったい誰がこんな世の中にした。いったい誰が弟を壊した。誰が。誰が……」

10 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:22:14 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「俺が地元の機械商社に入ってノルマに追われて鬱病を発症したのが二年前のことだ。
      結局俺の社会人生活は高々二年弱で終わってしまったわけだが、思えば弟は、
      そんな俺のことを心の底から軽蔑していたのかもしれない。

      そりゃあそうだろう。あいつが愛読する自己啓発書の内容とは正反対の人間が兄なのだから。
      だからあいつが俺を罵ることにさほど衝撃はなかった。 しかしながら俺がショックだったのは、
      そうやって俺を罵る弟こそが、その実最も心を痛めているのだという現実だった。

      俺は、さっさとやめちまえよ、そんな仕事、と半ば逃げ文句のように言ったが、
      弟は無視してまた携帯に向かって一心に検索キーワードを打ち込んでいた。

      俺より出来の良い弟が俺の言葉に耳を貸したくないのも当たり前の話だろう。
      けれど、そのせいで弟は何者からも孤立してしまっていたのかもしれない。
      周囲の助言に耳を傾けず遠いどこかの成功者を崇拝するその姿は、異様ではなかろうか。

      しかしながら社会はそういう風jにして回転しているし、
      たぶん弟も会社からそのような人材としての弟を求められていたのだろう。
      粘土が型に嵌められて歯車になるかの如く、あいつは余計な自分を擲ったわけだ。

      そうしたところであいつには何が残っていたのだろう。
      結局俺はあいつが駅のホームに飛び込むまで、何一つ手を貸せなかった。
      俺が後悔する。妹も後悔している。父親も母親も、誰もが彼の死を惜しんでいる。

      しかし生きている弟を何一つ救わなかった人間の惜別に、
      ただただ事態を静観していた人々の後悔に、いったい何の意味があるだろう」

11 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:24:09 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「俺たちが無意味な後悔に身を潜める中、あいつはあの世で未だ労働しているだろうか。
      今度こそ自己啓発書もロックソングもない場所で、それでもあいつは働くだろうか。
 
      そしてついさっき……そう、あんたがここに来るほんの数分前だ。
      俺は久々にあいつのTwitterアカウントを覗いたよ。
      まだあいつのアカウントは消されていなかった。そして最後の呟きはこうだ。

      『それでも人生は続くから、前に進まないといけない』」

……男の語り口はそこで途切れ、そして彼は数度咳払いを繰り返しました。

私には理解できない言葉も多かったのですが、何故か言葉の全容をよく憶えているのです。
普通夢ならば覚めてさえしまえば、徐々に忘却していくものでしょうが、
幸か不幸か私は男に聞かされた言葉が耳に纏わり付いてしまっているのです。

沈黙した男に向かって私にはかけるべき言葉がよく分からず、一度纏めるつもりで、
「つまり、弟さんが、亡くなってしまわれたのですね」と云いました。

( ´_ゝ`)「だから、そう言ってるだろう」

「それにはつまり、弟さんの矜持が懸かっておられるのですね」と、私は続けました。

( ´_ゝ`)「矜持……?」

「即ち、弟さんは、自分を想われ、家族を想われ、自らの仕事を全うしようとし、
 結果的に自決なされたのではありませんか。それは、まったく、立派なことではありませんか。
 そうして、弟さんの想いを、汲んで差し上げなければ、弟さんも、報われますまい」

私はその上、然しながら、日本男児として、憂国の危機にあっては、
容易なる覚悟で自決を選ぶべきではないのではないかと思いましたが、
流石にそのような言葉をかけるつもりにはなれませんでした。

12 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:25:52 ID:8GCwYc1E0
( ´_ゝ`)「……そうか、弟は誇りで死んだのか」

「誇りだけではないのでしょう。弟さんはその身を以て、
 この国に対して誠実に、全身全霊を尽くしたはずです。
 それは誉れ高いことであり、まことに勇敢なことではありませんか」

( ´_ゝ`)「……」

男は目を見開き何かに気付かされたかのような表情をしておりました。
然しながら直ぐに元の表情に戻ると、今度は何が可笑しいやら、高らかに笑い始めたのです。

( ´_ゝ`)「……そうか。そうかそうかそうかそうか、そうか……そうだろうな。
      あんたのような人間ならそう言うだろうな……間違いない。
      そして社会もきっと、そういう考えの元に成り立っているんだろう……」

そう云うと男は再び大きく大きく笑ったのでした。

( ´_ゝ`)「あんた方のお望みの時代になっているのかもしれないなあ、この世の中は……」

13 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:28:41 ID:8GCwYc1E0
そこで私は先ほどから気掛かりであった問いを男に向けることとしました。
即ち、ここはいったいどのような時代の場所であるのかと。

私の視界に映るものは僅かでしたが、それでも何か、
私の知っている世相とは全く違う様相を呈しているのです。
ですから私は、自ずから馬鹿馬鹿しく思いながらも、男に尋ねたのでした。

( ´_ゝ`)「……今がいつかって? そうか、幽霊には時間感覚が無いのか……」

何故か男は私を霊魂と勘違いしておりましたが、この際それはどうでもよく思えました。
そして男の口から回答を聞き出そうとした瞬間に、再びあの真っ白い光が、
私の全身を包み込もうとしたのです。故に私は「早く、早く」と男を急き立てました。

遂に光に閉じ込められてしまう寸前に、男の声が聞こえました。

「二千十三」と。

14 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:30:47 ID:8GCwYc1E0
その数字が皇紀であるとはとても考えられませんから、恐らく西暦での呼び方でしょう。
故に私はここで初めて母上に明かすこととなってしまうのですが、、
これは私が未来で体験した物事の記録ということになるのです。

初めからそうと知っておれば私にはもっと訊ねるべきことが山ほどあったのでしょう。
残念ながらそれらの様々の問いは男に向けることが出来ぬままでした。

ただハッキリしたのは今から数十年と経過した未来に於いても我が国の民族は生き、
そして日本の言葉を使い、暮らすことが出来ているということです。
当然のこととはいえ、それが確認できたことはまことに喜ばしく感じられます。

ただ、矢張りこれは私の夢に他なりませんので、決して鵜呑みにはできないのです。
ただ妙に重たい現実感と鮮明な印象のみを頼りに私は記述しています。

仮にもそこで出逢った相手が自決した者の親族であったとしても、
ただそれだけで済んでしまえば、一連の体験はただただ奇特なものであったと見做せたでしょう。

然しながら、結論から申し上げますと私はこの夢に対して格別の疑念を抱かざるを得なくなりました。
それと云うのも、この夢はここで終わらず、更に長々と続いていったからです。
夢にしては濃密すぎるその時間は、まるで私の生涯に匹敵するが如くでありました。

しかし時節が時節ということもあり、私にはこの体験をゆっくりと振り返るだけの時間がありません。
故に、一切の見たもの、聞いたもの、そして私の思いをここに書き連ねる次第です。

お母さん、私の信念は決して曲がっておりません。
私の正義も決して崩れてはおりません。
ただ、思いもよらぬところから冷や水を浴びせられて戸惑っているようなのです……。

15 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:32:55 ID:8GCwYc1E0
件の男の住いで白い光に包まれた私は、再び奇妙な浮遊感の中で漂っておりました。
それから暫くしてようやく視界が開けました。
けれども、そこも矢張り薄暗く狭い部屋の中でしたので、私は同じ場所に立ち返ったのかと錯覚しました。

それが誤りであることを知らせたのは、奇妙な機械音でした。
蓄音機から聞こえるような音楽は勇ましい軍歌のようにも聞こえました。
一体どこから鳴っているのかと音の方向を探ると、部屋の片隅で何かが光っていたのです。

その光は一人の男子の顔を照らしておりました。
体格の割には不健康そうに見えるその男子は、自分を照らす光を夢中で見つめておりました。
見れば聞こえてくる音楽はその光の中から流れているようでした。

私にはその仕組みがまるで理解できませんでしたが、
どうやらその発光する機械を男子は両手に持ち、中をのぞきこみながら、
両脇にある複数の突起物を一心不乱に連打していたのです。

先ほどの男から、私の夢が随分と後の時代を描いているとは聞かされていましたが、
それでもその奇妙な機械にはつい驚かされてしまい、私は思わず男子へ歩み寄りました。

するとようやく私の存在に気付いたらしい男子はふっと顔を上げ、
私を驚愕の双眸で凝視しました。身を震わせ、危うく手に持つ機械を取り落しそうになっていました。

私は前回と同じような具合で男子に向かい、「ここは、どこだい」と訊ねました。
男子はまだ呆気にとられているらしく暫く口を頻りに開閉させておりましたが、
やがて、ぽつりと「すげえ」と感嘆のような吐息とともに呟きました。

('A`)「マジもんじゃん……」

16 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:37:26 ID:8GCwYc1E0
どうやら彼もまた、私の服装に興味を抱いているようでした。
年頃にして凡そ十四か十五といったところである男子に、
自分の出で立ちを好く思われることは決して悪い気分ではありませんでした。

そこで私は少々図に乗るような具合で、「どうだ、勇ましく見えたものだろう」と宣いました。
けれども、男子の目つきは憧れのそれとは程遠かったようにも感じられたのです。
私の言葉に明確な返事をせず、男子は少し鼻で笑うような素振りを見せました。

('A`)「なんかのゲームでしか見たことねえや……こんなの。あんたタレント?」

小馬鹿にしているかのような口調に私は多少不快感を覚えましたが、
何にせよ後世の子供に怒っても詮方あるまいと考え直しました。
自分の身分を明かそうかとも考えましたが、どうも無闇に口にするのは躊躇われました。

('A`)「……ま、別にどうでもいいけど。俺には関係ないし」

「関係ないと云って、君もいずれは軍務に服さなければならないだろう」

そう私が云うと男子は、今度はあからさまに、せせら笑いました。

('A`)「そりゃま、あんたらは知らないだろうけどさ、今の時代には徴兵なんてないんだよ」

「そんな馬鹿な。それでは、一体どのようにして国を護るというのだ」

('A`)「軍隊ってのは無くなっててさ、今は自衛隊って云うんだよ。
    そこには志願した奴だけが入るの。ま、大方は能無しの筋肉野郎だけどな」

17 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:41:39 ID:8GCwYc1E0
国というものが在り続けていたとしても、その中身は様々に変容するらしいのです。
考えてみれば私が学校で習った歴史を顧みても、国の形は常に変わり続けていました。
故に目の前の男子の言葉が妄言であるとは俄かに断じがたいのです。

「けれども、そういう世界であるということは、つまり世の中が平和になったということだろうか」

私はまったく無知な道化の如き振る舞いで、何とか知恵を振り絞るのですが、
男子から返ってきた答えは何とも味気ないものでした。

('A`)「……さあ。平和なんじゃねーの?」

喩え平和に国が成り立っているにしてもこの男子の無気力ぶりは看過しがたく、
私も一人前の男ならばいっそ性根を叩き直さねばならないのではないだろうかと考えました。

('A`)「……つか、何? あんたなんでこんな場所にいるの?」

そもそも年上に対する敬意がなっていないのではないかと思い、
私は威風堂々と彼に向かって声を張ったのです。

「どうも、先ほどから君を見ていると、若者らしい溌剌さが欠如しているように見える。
 故に、自分が君の精神を真っ直ぐにしてやろうと思っているのだがね」

すると、男子は呆けたように私の顔を見ました。
それから、ややあって、彼は「遅い」と小さく云ったのです。

('A`)「遅いよ。俺、このゲームクリアしたら自殺するんだから」

18 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:43:17 ID:8GCwYc1E0
「なんだって?」

男子の口から飛び出した思いもよらぬ言葉に私は思わず聞き返してしまいました。

('A`)「だから、俺はもうすぐ自殺するんだよ。
    ここマンションの八階だから、飛び降りれば確実にいけるだろ」

そう云いながら、男子はまた、手元の機械を覗き始めました。
どうも彼がゲーム、と呼ぶものはその機械で行われているらしいのです。

「そういうことは、安易に口にするもんじゃないよ」

('A`)「よく云われるよ。だから、安易じゃなくて普通に死ぬんだ。それだけ」

お母さんは勿論ご存知と思いますが、嘗て少年時代の私は、
自ら死にたいと思ったことなど一度もなく、それ故男子の心情はまったく理解しかねました。
ですから、私は「どうしてだい」と、問うことしかできなかったのです。

「どうして君は、死にたいだなんて思うんだい」

('A`)「……さあ。動機なんて後から、どうにでも捏造できるんじゃねーの。
    俺は別に遺書とか残すつもりもないし、そもそも書くことだって無いから。
    ま、常識的に考えてイジメとか、そういうのが理由になるんじゃないのかね」

19 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:44:48 ID:8GCwYc1E0
「イジメというのは、なんだい。鬼のような教師がいるのかい」

('A`)「いや、相手は同い年とかが多い」

「学友か」

('A`)「大したことじゃないよ、たまには殴られたりするけど、基本的には無視されるだけ。
    面倒な悪口を言われたり、持ち物が無くなっていたりもするけど、辛くはないね。
    まあでも、そういうのが何年も積もってるから、十分自殺の動機になるんじゃねーの」

男子によれば、彼の学級に餓鬼大将のような存在がいるわけではなく、
ただただ教室の大部分が彼に敵愾心を抱いているというようなことでした。
喩え何とも思っていないにしても、決して友人になろうとはしないと。

私も、当時は面倒な餓鬼大将に悩まされていたものですが、
その分友人と結託しあうこともできましたし、良い側面もあったように思います。
何より、どうにも我慢ならなければ取っ組み合いの喧嘩をすればよかったのです。

男子のように自殺へと発想が到る道など、いくら探しても見つからなかったものです。

('A`)「別に何か目的があって死ぬわけじゃないしさ。ただめんどくさいだけ」

飄々と語ってみせる男子の言葉を私は到底受け入れられず、
終いには大人げない、長々とした口論へ発展してしまったのです。

20 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:46:22 ID:8GCwYc1E0
「君は、簡単に死ぬなんて言うが、例えばご両親の気持ちを考えたことはあるのかい。
 そういう人にとって、君は育てられてきただろうに、何とも思わないのかい」

('A`)「母親の更年期障害にも父親の酒癖の悪さにも十分感謝しているよ。
    でもそれとこれとは別。俺はもう、ここで死ぬしか方法がないんだよね」

「そんなに不満を持つ相手がいるなら立ち向かえばいいじゃないか。
 君は君自身正義感と誇りを懸けてそうするべきじゃないのか」

('A`)「別に正義感も誇りも無いし」

「……死ぬというのは、とても辛い行為だぞ。自分にもまだ分からないが、
 早々決断できるものではないし、簡単に足を踏み入れるべきではない」

('A`)「難しく考えすぎなんじゃないの。そこから飛び降りるだけだよ。
    そりゃあ怖いとは思うけどね。でも、明日も明後日も今日と同じだし」

「そうやって、君はあらゆる物事から逃げてしまうのかい。
 何も成さず、自分自身というものを持たずに、ただただ逃げてしまうのかい」

('A`)「……そんなこと、軍服の兄ちゃんに言われたくねーよ」

「どうしてだ。自分は祖国のために働いている。祖国に役立とうと奮戦している。
 それは後世を築く偉大な仕事であると心得ているよ。
 君には、そういった国に対する愛情や、国のために生きようとする気持ちがないのか」

('A`)「そりゃ、イカニモ古臭い発想だね。結局、国とかいうもののために死ぬっていう目的だけで、
    ようやく生き延びているだけじゃん。一人の人間として生きられないのに、国のために生きられないよ」

21 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:48:45 ID:8GCwYc1E0
……古来、世代による思考の隔たりはどうにも解消しがたいと云いますが、
この時の私の面持ちはそれそのものでありました。同じ日本人とすら思えなかったのです。

先程の男の時も同様だったのですが、どうにもこの時代の若者には生気が感じられません。

それは、私自身が思い描いていた未来とは全く異なるものでした。
私は、未来の日本人が恒久的な平和のために、
国のために活力溢れる奉仕をしているとばかり思っていました。

けれども実際に接する彼らには、私たちが根本に持っている筈の闘志や魂というものがなく、
代わりに得体の知れない無気力さと、疲労感ばかりが見受けられてしまうのです。
私は、この時代のこの国が本当に平和を保っているのだろうかと、不安にさえ駆られました。

「……しかし、君を見ると、特に不自由の無い身体で、健康そうじゃないか。
 それは何よりの資産だよ。それさえあれば、君には十分な可能性が広がっている。
 つまり、今の君がやや苦労しているにせよ、未来はまだ分からないじゃないか」

いつの間にか、打ち拉がれている男子を私が叱咤激励するという構図になっていました。
私などが未来の男子の背中を押す道理など万に一つも無いはずです。
それでもなお、私はこの疲れた少年に言葉を浴びせずにいられませんでした。

しかし、その返事は相も変わらず脱力感極まるものでした。

('A`)「そりゃあ他人からすればそうだろうね。みんなよく云うよ、未来は明るいって。
    確かに、それまでの人生に対してなんの不満も無い奴にとってはそうだろうさ。
    身の回りの出来事を一々糧にして、前向きに明日とかいうのを迎えられるんだろうよ。

    でも、そういう奴ばっかりじゃないんだよ、おそらく。
    仮に、クソ低い確率で俺が未来に何らかの成功を収めたとして、それで過去は全部チャラか?
    それまでに俺がやったこと、やられたことの記憶が全部サッパリ消えるのか?」

22 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:51:07 ID:8GCwYc1E0
('A`)「そうやって昔のことを背負わずに全部洗い流して、一分一秒を生きるとか、
    そんな感じの生き方ってある意味、楽だと思うよ。でも俺はそう思えないもの。
    今から人生やり直したら殴られた思い出も金奪われた思い出もいずれ忘れるんだろう?

    そんな感じで、馬鹿みたいに前を向いて歩くぐらいだったら、死んだ方がマシだ」

捉え難いその言葉に私が手間取っていると、男子は更に続けました。

('A`)「そういう風なことを云うとさ、こう返されるに決まってるんだよ。
    まだ若いから視野が狭いんだよ。まだ若いから物わかりが悪いんだよ。
    お前はまだ若いからそう思ってしまうだけだ。お前はまだ悪い意味で若いんだ。

    そりゃあそうだ。俺はまだ十五のクソ餓鬼だよ。世の中なんて分かるはずも無い。
    だから俺の考えてることが痛々しくてサムくて後悔するような黒歴史なんだろう。
    そんなことは十分知ってるよ。でも、十分知ってても若いことには変わりないからな。

    ……五十年後の俺が、正しいかどうかも分からない記憶を手繰って、
    今の俺みたいな考えにぶち当たってせせら笑うんだろうぜ。
    あー、あの頃は若かったなあ、みたいな感じでさ。俺は意志が弱いからどうせそうなるよ。

    そうやって歳をとるぐらいなら、そんなジジイ殺した方がマシだ」

「どうも、さっきから君は物事を極端に消極的に考えてしまいがちだけれど、どうだろうね。
 確かに世間には不条理なことぐらい幾らでもあるだろうさ。
 けれども、誰もがそれを乗り越えて生きていこうとしているんじゃないのかい」

('A`)「それはそれでいいよ、別に。他人に自分の考え方を押しつけようだなんて思わない。
    ただ俺は、そこまでして生きていくことに価値を見出せないという、それだけさ」

「……まったく、まったく理解しかねるな。命は手軽に捨て去るべきものじゃない」

('A`)「そういう考え方もあるだろうな」

23 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:52:38 ID:8GCwYc1E0
結局、私と男子の会話はいつまで経っても平行線を辿るのでした。
男子の根性は最早叩き直すなどという生易しい段階を超えているような気がしました。
喩え鉄拳の一つを落としたところで、彼の決意に変わりは無かったでしょう。

けれども私の信じるところでは、矢張り誇り無き自死は推奨するべきでなく、
どうにかして彼の行いを、或いは考えを変えてやらねばなるまい、と思うのでした。

「だけど、それでも君は、強く逞しく生きていくべきだよ。
 君が抱えている憤懣の全てが自分に分かるわけではない。
 一つ言えるのは、自殺は、自殺だけは絶対にいけないということだけだ」

('A`)「……なあ、俺もあんたが何でそうやって俺を引き留めるのかさっぱりわからねえよ。
    あんたらは国のためだとか、友や家族のためだとか、そういうので生きていけたんだろうぜ。
    だから俺と全く世の中の見方が違うんだろうな。それは恐らく幸せなことだよ。

    何も不幸ぶりたいわけじゃない。俺だって今まで生きてきて、自分なりに答えを探したんだ。
    それでようやく辿りついた結論だけ否定されても、どうしようもないよな。
    こっちだって一生懸命に考え抜いた上での結論だ。覆されたくはないね。

    誰だってそうだよ。死ぬことがそんなに悪いって云うなら、もっと早めに忠告すべきだ。
    袋小路に行き詰まった奴にそう叱責するのは、さぞ優越感があってたまらないだろう。
    けど、云われる方にしちゃたまったもんじゃない。下品な野次みたいなもんだよ。

    そんなに自殺するのが悪いとか、簡単に命を捨て去るなとか言うなら、
    そもそも批判する矛先が間違っているんじゃないのかね」

「……しかし、さっき君が言ったように、この時代は平和であるのだろう?
 その中で生きていけるということは、ひどく幸福なことではないのかい。
 自分のような人間の希望は、最終的にはその恒久的な平和に繋がっているんだよ」

('A`)「この国は平和だよ。けど、そこにいる人間が平和だとは、限らないんじゃないの」

24 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:53:47 ID:8GCwYc1E0
('A`)「俺は、見ての通りグズで負け犬みたいな人間だよ。
    だから学校では殴られるし、罵られるし、無視されるし、盗まれたりもする。
    家でも母親のヒステリーに付き合わされ、父親の腹いせに殴られたりもする。

    それでも俺は殺されちゃいない。みんなみんな加減というものを分かっているからな。
    俺みたいなゴミでも住む家があって遊ぶゲームが与えられている。そりゃ十分幸せだろう。
    世の中がもっと殺伐としていたら、もっと早くに誰かの手で死んでいたんじゃないかね」

「それはつまり、君がある程度恵まれた人生を送っていると云うことじゃないか。
 恩返しをしようとは思わないのかい。ここまで生きてきたことに、感謝しようとは思わないのかい」

('A`)「そうだなあ。周りへの感謝で生きろってのは、一種の洗脳だとは思うね」

男子が考えに考え抜いて無価値な自死を選択したと云うならば、
私にも短いながらも考えに考え抜いた生きて尽くすことへの肯定感があります。
同じ日本人として、結論が真逆に行き着いてしまったというのはまったく悲しい話です。

無論、私自身もまだまだ若輩者でありますから、自分の主張が正しいとはとても云えません。
しかし少なくとも私は先人の教えを忠実に守り、ここまで生きてきたつもりです。
もしや、そういった脈々と続く魂がこの時代の日本人には伝わっていないのでしょうか。

それとも、大きすぎる平和は私のような魂など必要としていないのでしょうか。
そうであれば、この時代の日本人はいったい何を指標に生きているのでしょうか。

熟々と考えている私をよそに、男子が云いました。

('A`)「よし、終わった」

25 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:54:59 ID:8GCwYc1E0
「ゲーム、というのが終わったのか」

('A`)「一応結末だけは気になってたから。最期にやっておこうと思ってさ」

私は緊張の面持ちで男子の一挙手一投足を見つめていました。
すると案の定、彼は立ち上がって機械を部屋の隅に放り投げると、窓の方へ歩き出しました。

「死んではいけない」

私は、教練の際と同じぐらいの声量で彼に向かって叫びました。
すると、男子は立ち止まり、私の方は振り向かずに天井を見詰めました。

('A`)「結局、また似たような結末だったよ。主人公の戦いは暫しの休息を迎え、
    そこから新しい、平穏な日々が始まるって云う台本だよ。
    主人公は戦いの日々で得た経験を糧に、これからの人生を前向きに生きるのさ。

    まったく現実には即していないが、だからこそ面白いんだろうな。
    用意されているのはドブのような人生でも、少しは綺麗に仕立てられる。
    そりゃあ売れるよ。そうでなきゃ売れないよな。俺みたいな人生じゃ、つまらない。

    人を殺すのは駄目。自殺も駄目。そんなことは知っているよ。
    けれども誰も他の方法を教えてないし、何だかしっくりこない。
    人それぞれなんじゃないの……とか、そんな具合ばっかりさ。

    頭ごなしに否定するだけ否定するのはさぞかし気持ちがいいんだろうさ。
    どこもかしこも、そういう文言で溢れているよ。それがどうにも疲れるんだ。
    この上余計に疲れてまで人生を送りたいとは思わないね。簡単な話だよ」

私が発する、死んではいけないという言葉などまったく梨の礫でありました。
何が男子をここまで追い込んだのか分かりかねますが、
いずれにせよ男子は自らの思想信条の下、何としても死なないといけないのかもしれませんでした。

それが一見して無価値な自死に思えても、そうではないのかもしれません。

私は完全に混乱しておりました。それでも、歩みを進める男子が視界に入るや、
思わずその肩を強引に引き留めようと腕を伸ばしていたのです。

26 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:56:45 ID:8GCwYc1E0
ですが、その手は呆気なく男子の肩をすり抜けてしまいました。
この体たらくでは幽霊呼ばわりされても致し方ないのですが、
それでも私はみっともなく何度も彼を掴もうとしました。

けれども、一切が無駄でありました。

男子の死に様を見届けたわけではありません。
窓の柵を乗り越えて中空へ消えていった彼を追いかけようとしたところで、
再びあの忌まわしき真っ白な光が私を包み込んでしまったのです。

ただ私が理解し得たのは彼の決意が虚妄ではないということと、
それを止められなかった己の不甲斐なさだけでした。
この頃になると、私はもう完全にこの夢が現実を予知したものであると錯覚していたのです。

故に私は強かに打ちのめされました。そして、それと同時に取り留めのない疑問に駆られたのです。
如何なる理由であれ、男子が自死せねばならぬ世の中は果たして平和と呼べるのでしょうか。
そこに全く尊厳が置かれぬ死は、受け入れて然るべきものなのでしょうか。

前回の男の弟についても同様でありました。
今にして思えば、私は随分と残酷な言葉を浴びせてしまっていたのかも知れません。
彼の弟の死にも尊厳や価値など存在していたのでしょうか。それは犬死にではなかったでしょうか。

この時代の者が私たちのように国を想わず、家族を想わず、友を想わず、
ただ惰性の如き心でもって死んでいくというのであれば、それは本当に望むべき未来なのでしょうか。

私は国のために生き、そして死にゆくことが最上の幸せだと教えられましたし、今もそれを信じています。
しかしもしもそれを教えられなければ、それを信じられなければ、そこにはどのような人が出来上がるのでしょう。

とは言うものの、このような疑問に身を浸すことは、多くの方に鍛えていただいた精神を蔑ろにするようで、
忸怩たる思いを持つものです。今更このような懊悩を抱えたところでどうしようもないのです。
ともかく、私は、私が生きている時代での教訓や信義に忠実であるべきだと思います。

27 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 00:58:38 ID:8GCwYc1E0
さて、私が昨夜に出会った人物は全部で三名であり、次が最後ということになります。
この長く重苦しい夜は些か過度な具合に尾を引いてしまうというわけです。

こうやって文字で書き表していくたび、心が晴れやかになるような気分を感じます。
ご面倒をおかけしますが、どうか最後までお読みいただければと願って止みません。

三度目の真っ白な光に包まれた私は、再び別の部屋へと移動することになりました。
しかし今度の部屋は、第一印象からして趣の違うものであるように感じられました。
そこへ立った私の鼻腔を、果物のような甘い香りが擽ったのです。

暫くそういった類のものを口にしておりません故、それだけで空腹の虫が鳴きそうでした。
しかし、矢張りそこも極楽というわけではありませんでした。
部屋の片隅に、今度は男性でなく女性が佇んでいたのです。

健康的な肉付きをしているその女性は、齢にして恐らく私と同い年ぐらいでしょうか。
その顔立ちには薄く化粧が施されており、私の眼からはやや奇異に見えたのですが、
同時に新鮮な可憐さ、美しさというようなものも感じられたのです。

ですが、そうやってじいっと見入っているうちに、私はある重要な事実に気付いてしまったのです。
見覚えのある顔でした。そしてそれは、遠く懐かしい顔でありました。

お母さんは憶えてらっしゃいますでしょうか。
まだ私が幼い頃、近所に一人、ちょうど私と同じぐらいの女の子が暮らしていたことを。
彼女が疎開してしまうまで、よく遊んでいたものです。

今となっては忘却の彼方に在ってもおかしくないような記憶が、その女性を見て一挙に脳裏を駆け巡りました。
歳は違います。髪型も違います。彼女はもっと痩せ細っていたかも知れません。
そして何よりも時代が異なります。

それでも私は過日の幼馴染を重ねずにいられなかったのです。

28 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:00:23 ID:8GCwYc1E0
ζ(゚ー゚*ζ「……ん」

不意に女性が私の存在に気付いて振り返りました。
私はどうしてよいのか分からず暫し彼女と見つめ合ってしまいました。
当然ながら彼女の方も驚きを隠せない様子でしたが、それでも我に返ったのは彼女の方が先でした。

ζ(゚ー゚*ζ「……お迎えかな?」

どうも私は、この時代の人々に死の印象を与えてしまうらしく、最早失笑を禁じ得ませんでした。
ただ、だからといって的確な説明方法など分からず、私はただ自分が霊魂の類いでないと繰り返したのです。
信用出来る話で無いことは百も承知でした。しかし彼女はうん、うんと頷いてくれたのです。

ζ(゚ー゚*ζ「そうなんだ。はは、ごめんね。なんか、そういう格好の人を見ると、
       どうしても怨霊とかかなって思っちゃうんだよ」

「それは、私が酷い怨みを抱えているという意味でしょうか」

ζ(゚ー゚*ζ「うん……。なんとなく、イメージだけどね」

「私は何も怨みを抱える憶えなどありませんよ」

ζ(゚ー゚*ζ「そういう話が好きなんだよ。その方が、面白いんじゃないかな」

彼女が擁している柔和な空気は、それだけで先程までの陰鬱さを吹き飛ばすようでした。
無論、ここまでの二人からして、彼女も何らかの苦しみを抱えているという予感はありましたが、
それを踏まえた上でも、彼女とはもっともよく話ができそうだったのです。

29 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:01:53 ID:8GCwYc1E0
けれども、無駄話で時間を費やしている場合でもなさそうでした。
いつ、またあの白い光で私がどこかへ連れ去られてしまうとも限りません。
ですから私は、女性に対してただならぬ印象を抱きつつも、全く違った質問を突きつけたのです。

「一つ、問いたいのですが、この時代は平和で幸福なのでしょうか?」

ζ(゚ー゚*ζ「……どういうこと?」

「ここに来るまでに、未来を生きる若者の話を聴く機会がありました。
 彼らの云うところによると、どうやらこの時代にはもう戦争というものが無くなっているようです。
 私は、戦争がなくなればきっと人々は穏やかに、平和に、裕福に暮らせるものとばかり思っていました。

 ですが、どうにも彼らの振る舞いを見ていると、とても幸せそうには映らないのです。
 そこには戦争とは幾分違った苦労があるようで、しかし私にはまったく理解できない。
 惜しむらくは、恐らくもう二度と彼らと会話できないことです。なので、どうか貴方に教えていただきたい」

そうやって疑問を口にして、私はふと、一つの疑問に突き当たりました。
いったい、どうして私はこんなことを教えてもらおうとしているのだろう、と。
こんなことを訊いたところで、何らかの意味は見出せるのだろうか、と。

私の問いを聴いた彼女は暫し沈黙した後に、唐突に吹き出しました。

ζ(゚ー゚*ζ「何か、変なの。貴方みたいな人が私たちの心配するなんて」

「繰り返しますが、私は決して幽霊やその類ではないのです。
 信じられないかも知れませんが、私は私がいるべき時代から……」

ζ(゚ー゚*ζ「分かってるよ。だからこそ、変なのって思うよ。
       よくわかんないけど、大変なんでしょ?」

「無論、私の時代は艱難辛苦を舐める時代でありましょう。それは、きっと誰から見てもそうだと思うのです。
 しかし私がこの時代において感じたのは、そういった、見える苦労ではありません。
 何だか、目に見えぬ巨大な暗闇が世相を包んでいるようにさえ感じられたのですが……」

30 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:02:55 ID:8GCwYc1E0
ζ(゚ー゚*ζ「……でもさ、そういうこと、別に知らなくてもいいんじゃない?
       というか、あんまり知ろうとしないほうがいいと思うんだけどな」

「構いません。どうか教えて下さい。
 むしろ、それを知ることこそが、私がこの時代で成すべき使命であるとさえ思うのです」

ζ(゚ー゚*ζ「……今までにどんな人と出会ってきたのかは知らないけどさ、そこまで悪い時代じゃないよ。
       戦争なんてないし、誰かに殺されることも殆どない。
       多くの人は裕福に暮らしているし、昔よりずっと気楽に生きているよ」

「そうであれば、どうして人が自死を選ばねばならないのでしょうか。
 幸福に生きているはずの人々が自死を選ぶ理由などないではありませんか。
 にも関わらず、どうして尊厳無く彼らは死んでしまうのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「生きていくのが面倒になるんじゃない? 気楽すぎるのも問題だよ」

「気楽すぎる……」

ζ(゚ー゚*ζ「昔みたいに戦争しなくちゃ駄目だとか、ここで勝たなきゃ駄目だとか、そういうのじゃないからね。
       大きな目的のために生きるなんてことは、誰もしなくなっただけだよ。
       目的を失ったら、生きている意味を見失ってしまうのも、ある意味当然じゃないかな」

「けれども、本来、多くの人を想えば、そう安易に死なないはずです」

ζ(゚ー゚*ζ「安易って、何だろうね? 戦争で死んでいくことは、安易じゃないのかな?
       国のために死ぬことができたら、それはとても重要な死だと言えるのかな?
       死ぬことに意味があるかどうかなんて、何の指標にもならないんじゃないかな?」

「……」

ζ(゚ー゚*ζ「たぶん、ブラック企業のせいで死ぬことにも、イジメで死ぬことにも、意味は無いと思う。
       けれど、それと同じぐらい、戦争で死ぬことにも意味はないよ」

31 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:03:58 ID:8GCwYc1E0
「ですが、そうやって戦争を無意味だと断じてしまえば、何れ国は滅びてしまうではありませんか!」

ζ(゚ー゚*ζ「うーん、あのね、戦争は、国にとっては無意味じゃないと思うよ。
       私には国のことなんてさっぱり分からないけどね、この前の選挙も行かなかったし。
       けれど、そのために満足して死んでも、死ぬことには変わりないんだよ」

「しかし、私がしなければ、他に誰がやるというのです?」

ζ(゚ー゚*ζ「どうだろう……分からないけれど、きっと誰でもいいんだよ」

彼女の何気ない一言に、私は思わず手をあげそうになっていました。
何が私の怒りに火を付けたか、分かったものではありません。
彼女の言葉はあまりにも承伏しがたく、それと同時に巧い反論も思い浮かばぬものでした。

ζ(゚ー゚*ζ「でもね、命を軽視するのは確かによくないことだよ。それは今でも同じ。
       自殺はよくないって教えられるし、ちゃんと相談の窓口も用意されてるよ。
       道を歩けば自殺防止キャンペーンもやってるし、みんな熱心にやってる」

「それでもなお、人は死ぬのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「まあ、ある程度数は減ってるんじゃない? でも、決してゼロには出来ないよ。
       他人に相談したところで、キャンペーンに参加したところで、現状がどうなるわけでもない。
       自分の人生が、無理だと思うなら、もう死ぬしかないよね。それを決めるのは当人だよ。

       最終的には、全部自己責任で他人事だよ、悲しむも悼むも他人だから出来る話でさ。
       だから、自己責任として死んでいく分には、何もおかしくないんじゃないかな」

「親から与えられた命を、自分の軽々な判断に任せてよいのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「そういう、義務感めいたものじゃあ、ご飯は食べられないからねえ」

32 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:05:16 ID:8GCwYc1E0
ここにきて、私がようやく理解したのは、この時代の人々には、
「生きていかなければならない」という必然性が存在しないのではないか、ということでした。

今まで疑問にも思いませんでしたが、そういった根本的な精神性で、
私たちと彼らとでは大きく隔絶してしまっているのではないかと感じます。
それとも、私たちが生に囚われていることこそが間違っているのでしょうか?

ζ(゚ー゚*ζ「世の中は平和だし、表面上はみんなで生きていこうと思っているよ。
       でも、心の底の方ではどうだろうね。そこまで他人を救おうとは思わないんじゃないかな。
       キリがないし。人それぞれだし。自己責任だし。他人事だし」

「この時代の人は、それほどまでに死を選ぼうとしているのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「実際に選ぶかどうかはともかく、考えたことぐらいはあるんじゃない?」

「貴方も?」

私の問いかけに、彼女はほんの少し微笑んだように思えました。
その瞬間に、私は確信ではないにせよ、彼女もまた自死を選ぼうとする人であると思えたのです。

然しながら、直後に聴いた彼女の言葉はおよそ衝撃的なものでした。

ζ(゚ー゚*ζ「うーん。どうだろうね……。
       私の場合はむしろ、自分を殺すんじゃなくて、人を殺したんだよ」

「人を?」

ζ(゚ー゚*ζ「うん」

「他の誰かを、殺したのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「誰かっていうか、自分の子どもだよ。中絶」

「中絶……」

ζ(゚ー゚*ζ「二回」

33 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:06:13 ID:8GCwYc1E0
そして彼女は、この時代では案外と簡単に身籠もった子どもを殺す方法があると教えてくれました。
その話を聴きながら私が考えていたことは彼女の罪悪に関してというよりも、
幼馴染の面影を残している彼女が二度も堕胎したという衝撃についてでした。

これは、全くもって私の身勝手な想いに過ぎなかったのですが、
それまで彼女に抱いていた私の心証が大きく覆されてしまったかのような具合でした。

ζ(゚ー゚*ζ「一度目は三年ぐらい前。二度目はついこの間。まさか二回もやっちゃうなんてね」

「……どうして、中絶などなさったのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「どっちも、相手に逃げられたから、じゃないかなあ」

「相手というのは、男のことですか」

ζ(゚ー゚*ζ「今じゃあ別に珍しいことでもないんだよ。それに、私自身の問題でもあるしね。
       一度目はまだしも、同じ事繰り返してるんだから、学習能力がないだけだよ」

「けれども、責任の欠片も感じぬ男など、あんまりではありませんか。
 女を泣かせるような男であってはならないと、この時代では思わぬのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「それもやっぱり、表面的にはあるんじゃないかな。
       けど、実際に子どもが出来ちゃった、なんてことになったらまともな男なら逃げるよ。
       若かったら尚更。お金も、世間体も、知恵も援助も何もないんだからね」

「……どうして、貴方はそう、男どもを擁護するのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「別に、今更何とも思ってないだけだよ。出費は痛かったけど、それだけ」

34 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:07:23 ID:8GCwYc1E0
ζ(゚ー゚*ζ「それに、仮に相手が逃げてなかったとしても、私はやっぱり堕ろしていただろうし」

「どういう意味ですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「だって、自分の子どもなんて、想像しただけで寒気がするよ。
       私には子どもを持つ資格なんてないし、ましてや持ちたいと思わない。
       子どもが欲しいなんて思えるのは、余程のナルシストか何かじゃないかな。

       この世の中に子どもが産まれてきて欲しいなんてちっとも思えないし、
       ましてやそれが自分の子どもだなんて、怖くて怖くて仕方がないよ。

       ……けれど、やっぱり相手がいたら堕胎なんてしなかっただろうな。
       ワケも分からない子どもに向かって愛情の結晶とか名付けたりして、
       生まれる直前までは大事に大事に想うんだ。私はそういう人間だから。

       所詮自分勝手につくった子どもであることにかわりないのに、授かったとか平気で云うんだよ。
       そんな、下らなくどうしようもない人間なんだ、私」

「それほど、自分を卑下する必要はないではありませんか。実際にそうなったわけでもないのに……」

ζ(゚ー゚*ζ「実際は、もっと酷いことをしてるんだけどね」

私にはもう、彼女に掛ける言葉が一つも見当たりませんでした。
いや、彼女だけではありません。彼女を取り巻くこの時代というものに対して、
厳然と拒絶されたような気分なのです。それが、連綿と続くこの先の未来とは到底思えませんでした。

ζ(゚ー゚*ζ「……でもね、大丈夫。私みたいなのばっかりじゃないよ。
       きっとみんなはもっと綺麗な心と綺麗な人生をしているんだ。
       
       街を歩けば難病の子どもを救おうとしたり、
       遠い他所の国に学校を建てようとして頑張っている人がそこかしこにいるよ。
       色々なコミュニティが、今日も平穏な振りをして巡り巡っているよ。

       だから、ねえ。そう気を落とす必要はないと思うんだ。
       私はこんなんだけど、貴方たちの行いは決して無駄なものじゃない。
       今のこの国が平和で裕福なことには間違いないんだから……」

35 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:08:38 ID:8GCwYc1E0
唐突に彼女が慰めの言葉をくれたのは、私が気付かぬうちに涙を流していたからでした。
私は大粒の涙をぼろぼろと零しながら彼女を見詰めていました。
彼女は、私の眼からはまるで純粋無垢な、何も分からぬ女性に見えました。

「……その言葉は、私を救ってくれるものに他なりません。
 けれども今の私には、まるで空言のようにも聞こえてしまうのです。

 私は結句、自分の行動が後世にとって無駄ではないようにと奮戦してきたつもりでした。
 国のためでも何でも、私の行為で正義が立つならば、そのために身を粉にしようと決意していたのです。
 それ故、私はこの時代の人間を見て、自分の行動が無価値でないかと不安に陥りました。

 確かに私の行動は無駄ではないでしょう。けれども、私が望んだのは、
 決して労働や学友に殺される人を生むような世相ではありませんでした。
 何事も、全部が全部完璧に成し遂げられるというわけではないのですね。

 そして、懺悔をいたしますと、私は貴方の面影に幼い頃の懐かしき友人を思い出すのです。
 故、貴方が苦労している体験はあまり聞きたくありませんでした。
 私には貴方が穢れの無い人に見えて仕方がないのです。

 それが私の幻覚であるというのならば、私は幻覚に追いやった世相を憎まねば気が済みません」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

「貴方から聞こえる言葉が空々しく感じられることにはまったく残念でなりません。
 しかし、それでも私は自らの信念に則って私自身の時代を生きることになりましょう。
 私にはそうするしかないのです。喩え揺らいだとしてさえ、それだけが私の信義なのです」

36 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:09:30 ID:8GCwYc1E0
それが夢だからこそ成せる業なのかも分かりません。
ただ私は自分が何を言っているのかも理解せず、ただ興奮して弁舌を振るっていました。

しかし、どれだけ言葉を尽くそうとも、私と彼女の間にある高い壁が崩れ去るわけもありません。
それは思考の壁であり、生き方の壁であり、そして最終的には時代の壁であるのです。

ζ(゚ー゚*ζ「……大丈夫」

彼女は私の言葉の途切れ目に、そう呟きました。

ζ(゚ー゚*ζ「私みたいなのが変なだけでさ、みんなちゃんと、上手く生きているよ。
       それが出来るだけ、十分な時代なんだよ。それはきっと、貴方たちのおかげなんだ」

「けれども、私は貴方のような方をも幸福にする国にしたかったのですよ。
 そのために私は働き、そして死んでいくのです。
 せめてもう少し救われて下さい。私は、二日後に逝ってしまうのです……」

終の言葉が彼女に届いたかどうか分かりません。
最後まで言い切ろうとした矢先に、私は寝床から跳ね起きていました。
もう真っ白な光に包まれることもなく、私は唐突に現実へ引き戻されたのです。

けれども、私は最後に妙な感触を覚えていました。
それは体躯を包み込むような温かさで、私にはまるで彼女が最後に抱き締めてくれたかのように感じました。

そうやって思いを馳せて、私は再び切なさと虚しさに駆られて涙を零しそうになるのでした。

37 名前:名も無きAAのようです :2013/07/16(火) 01:11:50 ID:8GCwYc1E0
――以上が、私の経験した一連の奇妙な体験ということになります。

何度も繰り返して申し訳ありませんが、これはあくまでも夢幻の話であり、
決して現実のものではないということをご理解下さい。
それにしても珍妙な具合になってしまいましたが、最後と云うことで、お許しくださればと思います。

書き上げた現在、私は随分晴れ晴れとした気持ちです。
書き連ねるにつれて私の中にある未来の記憶が徐々に吹き消えるような気分です。
今の時代というものが再び身に馴染み始め、これで私は爽快に逝けるでしょう。

この手紙が着く頃、私は既に海へと華々しく散り消えていることでしょう。
かくも素晴らしい死に場所を与えられ、私は非常に嬉しく思っております。
ただ私はこの国が良き方向へと舵を取ることを信じるしかありません。

お母さん、どうかお元気で。

私はこの人生を悔いてはおりません。
私にとっては全部の友が、家族が、諸先輩方が宝物です。
それ故に、私はあくまでも前を向いて、国のために奉公したいと思います。

行ってまいります。







38 名前: ◆xh7i0CWaMo :2013/07/16(火) 01:14:25 ID:8GCwYc1E0
進行状況報告

Album(リンク先:BoonRomanさん)

第三話:進行率60% 投下予定七月末

( ^ω^)コン部のようです(リンク先:ばとんたっちさん)

第二十八話:進行率10% 投下予定七月下旬

無駄な苦労ですよ。明日は平日ですよ。他にやることもないですよ。

それじゃ失礼。


戻る




inserted by FC2 system