- 805 名前:+になったようです :2015/02/04(水) 18:07:36 ID:CSbwfn3A0
- がたごとん、がたごとん。 静かに、電車が揺れる。 わたしの体が、揺れる。 体のなかの、水も揺れる。
鉄が弾む、車輪の音。 足元にふきつける温風が心地よい。 ふと視線を落とせば、リボンで出来たバラが目に入る。 真っ赤なバラ。パンプスに咲いている。 靴を辿れば、色白に見せかけるストッキング。 膝上の千鳥格子と水玉模様の、めちゃくちゃなスカート。 外を出歩くには寒いけれども、わたしのお気に入り。 それから、適当に選んだブラウスと、黒いコート。 ポケットにはお財布と切符しか入ってない。 あ、でも手にはスマホがあるけど。
('、`*川(電波なさすぎ)
いつまでたっても、検索画面は、真っ白のまま。 今すぐ知りたいことがあるのに。
('、`*川(知りたくないことはすぐ分かるのに)
それも三分足らずで。
('、`*川「あ、」
真っ白な画面が、紫がかった文字列のページに代わった。
('、`*川(地下鉄のバーカ)
罵倒しながら、スマホをポケットにしまった。 電車を降りるまでは調べ物はお預けだ。
('、`*川(どうせどこで降りてもいいし)
いたたまれない気分だったから、外に出ただけだった。
('、`*川(急行じゃなくて各停に乗ればよかった)
左のポケットをまさぐる。 そういえば、ゴミも持ってきてしまった。 細長いそれを握りしめながら、わたしは駅に着くのを待ち わびていた。
('、`*川(どこで捨てよう)
どこでもいいよ、そんなの。 わかりきっていることだ。 家の外ならどこでもいい。どこでもいいから、なかったこ とに。
「まもなく、美府。西比利亜線、入速線にお乗り換えの方 は――」
お乗り換えではない。 でも美府なら、そこそこ栄えてるし。
- 806 名前:+になったようです :2015/02/04(水) 18:09:13 ID:CSbwfn3A0
- ('、`*川(あったかいもんでも飲もう)
コーヒーとか、カフェモカとか。 それで甘いものもつけてしまおう。
('、`*川(今日だけは特別)
カツコツとヒールの音を響かせて、わたしは喫茶店へと向 かった。
けど。
('、`*川「えー、移転したの」
つくづくついていない。 仕方がないので、自動ドアに貼られた貼り紙を撮って、そ れを頼りに歩くことにした。
('、`*川(絶対外寒い)
だってもう六時だし。 日が暮れてるし。 というか、家を出た時から寒かったような気もした。
('、`*川「…………」
透明なガラスの、ドア越しに、真っ暗な店内を眺める。 解体作業はまだらしい。 椅子もテーブルもソファーもカウンターも、そのままだ。
('、`*川(席が埋まってて、たまたま喫煙室に入ったの よね)
そうしたら、煙草を吸っている彼がいた。 銘柄は知らない。 キッシュ、ウィンストン、エスプレッソ、ピース、キャメ ル、バニララテ、ピアニッシモ、アップルパイ。 色々なにおいが混ざりあって、自分の飲み物くらいしか鼻 がきかなくなっていた。
そのうちなにかの拍子にむせてしまって。 そうしたら彼が慌てて煙草を揉み消して、声をかけてきた のだ。 大丈夫ですか、と。やさしく。
('、`*川「…………」
思い出に浸っていたら、スマホの画面が真っ暗になってしまった。 ボタンを押し、先程撮った地図を展開した。
- 807 名前:+になったようです :2015/02/04(水) 18:12:14 ID:CSbwfn3A0
- ('、`*川(真反対じゃん)
しかも離れてる。 けれども歩く。
('、`*川(寒い)
手がかじかむ。 なにも持っていない左手をポケットに突っ込む。 あれにぶつかる。 不愉快だった、早くお店に行こう。
すぐ駅に戻り、先程とは違う出口から出た。 旧喫茶店のあったところは静かな住宅街につながっているけど、こちらはスーパーやバスのロータリーなんかがあっ て、人通りも多い。 そのせいか、LEDの賑やかな光が溢れていた。 街路樹に、スーパーの入口のツリーに。 リースや雪を模した綿なんかも飾られている。
('、`*川(クリスマス)
そうだった。 クリスマスイブだった。 今日は、クリスマスイブ。
('、`*川(……なんでこんな日にやっちゃったんだろう)
左手のなかに収まっているそれを、きつく握りしめる。
('、`*川(喫茶店)
地図によると、横断歩道を渡らなくてはいけないらしい。 それから、左手の坂を登るそうだ。
('、`*川(道路、混んでるなぁ)
おかげで、道路を渡るのに苦労しない。 でも車が走っていたら、うっかり当たったかも。
('、`*川(なんてね)
緩い坂を登る。 うん、でも、ヒールを履いていたら、きつい。
('、`*川(汗かいちゃったわ)
喫茶店の看板が見えてきた。 コートを脱いで、店内へ。 風邪、引かないといいけど。
「いらっしゃいませ、お飲み物は?」
('、`*川「じゃあ、このシナモンジンジャーマキアートで」
舌を噛みそうな名前だけど、言えた。ぱちぱちぱち。 飲み物ができるまで、メニューを眺めよう。
('、`*川(あ、お菓子買い忘れた)
まぁいっか、お会計済ませちゃったし。 出来上がった飲み物を受け取って、ふかふかのソファーに身を預ける。 うん、飲み物だけでいいや。 なにか食べたら、帰る気が失せるところだった。
('、`*川「……あちっ」
一口目にして負傷。 ただし、軽傷である。
- 808 名前:+になったようです :2015/02/04(水) 18:16:30 ID:CSbwfn3A0
- ちょうどいい、調べものの続きをしよう。 スマホを取り出して、わたしはふと、二時間前のことを思い出した。
寒いから、周期が狂ったのだと思っていた。 女の子は冷えに弱いのよ、冷さないようにしなさいね、と 母親から貼り付けるタイプのカイロを、どっさりもらったのはつい最近のことで。 いやそういう話じゃない。
そもそも、いつのことだ? 心当たりがありすぎる。 前兆ならあったじゃないか。 なんとなくチクチクと下腹部が痛んだし、三日ほど薄く赤茶けた血が出ていた。 それでもわたしは気付きたくなかった。 だって、まだ早すぎる。 わたし、わたし。
('、`*川(……働いてたら、お金がすぐ出せるのになー)
検索結果のリンクはみんな薄い紫色。 とてもじゃないけど、払えない。
彼は、働いているけど、言えない。 家族になんて、とんでもない。 祝福されるはずがないって分かっているから。
('、`*川(死刑宣告に近かったな)
浮かび上がった十字架を見て、わたしはそう思ったのだ。 母親にすら、疎まれる子供って。
('、`*川「あ」
電話だった。
('、`*川(……帰ろ)
このことは忘れてしまおう。 なかったことにしよう。 そうすれば、もしかしたら。
('、`*川「もしもし、お母さん?」
飲み物を持って、わたしは立ち上がる。 ポケットの中身が揺れ動く。 わたしの中の水も揺れる。
そうだ、捨てなきゃ。
- 809 名前:+になったようです :2015/02/04(水) 18:17:37 ID:CSbwfn3A0
- ('、`*川「うん、うん、わかったよ」
首を傾けて、右肩でスマホを挟む。 飲み物を持ちかえて、左手をポケットに突っ込む。 紙にくるまれた検査薬が、喫茶店のゴミ箱に落とされる。 そうしたら、
('、`*川「大丈夫だって、」
いつのまにか、いなくなってるかも。
('、`*川「じゃあ、今から帰るから」
外は寒い。 左ポケットにスマホをしまいながら、わたしは喫茶店を後 にした。
('、`*川(まだ熱いな、これ)
飲み物をカイロがわりにして、美府駅に向かうことにし た。
きっともう、あの喫茶店には、行かないだろう。
了
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