- 546 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:22:29 ID:8nj28QAo0
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日曜の朝からばたばたと家中を動き回る両親に辟易し、
こっそり逃げ出した私はおばあちゃんの経営する古本屋に飛び込み、
一人で脚立のてっぺんにお尻を置いたまま文庫本を読んでいた。
高い窓から差し込む朝の光は鈍角の軌道を描いて、
私の手の中の文庫本に着地し文字をにじませている。
読もう読もうと思ってもどうにもまとまらない思考は
段落を跳ね馬のように踊らせるので、
もはや煩わしくなった私がふと顔を上げると、
いつのまに脚立を中程まで登っていたキュートと目が合った。
ξ゚听)ξ「うわっ」
o川*゚ー゚)o「おはようピヨちゃん、元気か」
ξ゚听)ξ「ピヨちゃんいうな」
私が反対側から脚立を降りると、キュートもそのまま真っ直ぐと床へ飛び降りる。
- 547 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:23:15 ID:8nj28QAo0
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o川*゚ー゚)o「今日も店番?」
ξ゚听)ξ「うん、なんかばあちゃん町内会の集まりにいくってさ」
o川*゚ー゚)o「ふーん、暑いのにね今日」
私が中学生になってしばらくして、ちょくちょくおばあちゃんは
店番を押しつけてどこかへ行くようになった。
お年寄りが元気であることはいいことだし、
ほとんど客の来ない店でひとり読書をすることは、
まるでチーズのように私の生活に空いた穴を埋めるのに最適であったので、
それは需要と供給ががっちり組み合っていて問題はないのだけれども、
ときたまキュートがここを訪れては私の心をさっとかき混ぜてくれるので、
そのバランスも若干崩れつつあるのだった。
o川*゚ー゚)o「本当に、暑いね」
キュートは肩に掛けていたカバンから鈍い青の水筒を取り出すと
きゅぽんと蓋を開け、ごくごくと飲み始めた。
- 548 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:24:06 ID:8nj28QAo0
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店内はクーラーも扇風機も寒色の床もありゃしないので
じっとりと粘っこい暑さに満たされている。
水筒の中身を飲む彼女の絹層雲のように白い喉のそのたびに震えるのを見て
ちょっとおこぼれに預かりたくじっと眺めていると、
水筒に口を付けたままキュートは視線だけこちらに向けて、
もう一度ごくりと飲むと、ようやく口を離して蓋を閉め、水筒ごとこちらに放り投げてきた。
ξ゚听)ξ「とと」
拝むようにして両手で水筒を受け取った私は
キュートの先ほどの所作を参考に、同じように蓋を開け
水筒に口をつけると天井の方角へ首を大きく掲げる、
すると麦茶味の空気だけがスースー降って来るばかりで実体を伴わない。
水筒を逆さに降ってのぞき込めば後生の一滴が瞼にぽとりと落ちた。
- 549 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:25:38 ID:8nj28QAo0
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ξ゚听)ξ「もうないじゃんかよ」
o川*゚ー゚)o「ないよ、知らんかったの?」
なんでもない風に告げるキュートの右目が閉じるのが無性に腹立たしい、
私は右手の麦茶と左手の文庫本を同時にオーバースローで彼女に投げつけた。
水筒が一足お先にキュートの手にぱしっと収まり、
それから遅れて文庫本がばたばたと羽ばたいてカーブを描きつつ
彼女のへそのあたりにぶつかり、落ちてそれきり。
o川*゚ー゚)o「ブンむくれてるのでしか」
ξ゚听)ξ「ブンむくれているのでし」
心臓の鼓動と繋がっているかのように、
わずかに膨らんだりしぼんだりを繰り返す私の頬をそっと撫でて、
キュートは耳打ちする。
o川*゚ー゚)o「妹はもっと大事にするもんだよ」
- 550 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:26:29 ID:8nj28QAo0
――妹が欲しいと何となく思っていた時期と、
赤ちゃんを作る行為について学んだ時期とが、
私の生涯において両面テープのように重なっていた。
それは愛の営みとも呼ばれているということを知った当時の私は、
妹が欲しいのに出来る気配のないこの家庭に愛がないのではないかと
不鮮明な不安に貫かれ戸惑いさまよった挙げ句、キュートの門を叩いた。
私の話を聞くキュートは節分の豆のごとく無節操に相槌をばらまくので
本当にちゃんと聞いているのか不安になったものの、とりあえず最後まで話し終えた。
すると彼女は私に向かってこう言った。
o川*゚ー゚)o「じゃあ、私がツンの妹になったげる」
ξ゚听)ξ「うん?」
- 551 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:27:52 ID:8nj28QAo0
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私の悩みの優先順位としては妹が出来ないことよりも
家族内に愛がないことのほうが大きかったのだけれど、
うまく論点をすり替えたキュートは蹴飛ばした小石が側溝に落ちるように
すっぽりと私の妹ということに収まってしまったのである。
しかし別に悪い気はしなかった、
妹が出来るならそれで越したことはないはずだ。
たとえ同い年だとしても、たとえ血が繋がっていなくても、
たとえキュートの背を私の背が追い越すことが一度もなかったとしても。
そして、今に至る。
- 552 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:28:41 ID:8nj28QAo0
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古本屋は安全地帯、誰の侵略も受けることなく日曜の朝を漂っている。
私は入り口そばに置かれた木製のイスに深く腰掛け、
キュートはそのそばの本棚にもたれかかり、
私の頭をちょんちょんつついている、慣れているので別段気にしない。
o川*゚ー゚)o「ツン、元気だしなよ」
キュートは二本の指を私の髪にくぐらせて呟く。
ξ゚听)ξ「なにがよ」
o川*゚ー゚)o「いや、元気なさそうだし」
ξ゚听)ξ「朝だから低血圧なだけよ、多分」
o川*゚ー゚)o「血圧がなんだってんだよ、元気が大事だよ」
ξ゚听)ξ「からだには逆らえないて」
o川*゚ー゚)o「それは本当ね」
ふいに、膝のあたりが重くなる。
向かい合う形でしゃがみこんだキュートが、胸を私に預けていた。
- 553 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:29:39 ID:8nj28QAo0
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――キュートが私の妹になってしばらくして、
私は彼女の家庭の事情をどこからか知った。
彼女にはかつて、才色兼備ですべてにおいて秀でていたクールという名の姉がいた。
その姉に憧れて、少しでも姉に近づこうと身を磨き勉学に励み
誰にでも分け隔て無く優しさを与えることを心がけていたキュートだったが、
クール自身はそんなキュートのことをいつまでも頼りない可愛い妹として扱っていた。
「私はあなたのようになれているのですか、果たして」
そんな疑問と、それと共に募り続ける不満がキュートの胸から飛び出す前に、
結局クールは嫁いでしまい、家を出ていった。
それとほぼ同じタイミングで、私はキュートに悩みを打ち明けたのだ。
- 554 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:30:21 ID:8nj28QAo0
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これはあくまで私の予想だけれど、
姉が去った後に、キュートは気付いたんじゃないかと思う。
クールとしては、キュートには完璧な存在で居てほしくなかったということに。
自分の歩いた道を影みたいに実直に追いかけてくるキュートの姿は、
クールにとってとても痛ましく見えていたのではないか、ということに。
事実。
妹になってあげるといいながらキュートの私に対する態度はむしろ姉のそれだった、
いたずらっぽく、かつ頼りがいがある姉。
そういう接し方は、クールに憧れていた過去の後遺症として、
キュートの皮下に染み付いて血と混じりあい、もはや抜くことのできなくなった
一種の毒のようなものだとして。
- 555 名前:名も無きAAのようです :2015/06/07(日) 22:31:01 ID:8nj28QAo0
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それでも、キュートが私の妹であることを選んだのは
クールに対する負い目かなにかだとしたら、
私は逆に姉としてそれを受け入れる義務があるのかもしれない。
ξ゚听)ξ「キュート……?」
o川*-ー-)o
キュートは上半身を私に預けたまま目を閉じている、眠っているようだ。
私も心の窓を開けて風通しを良くすると、そこから眠気を迎え入れる。
生きて行かなくてはならないという決意がセル画のように積み重なって
日々が形作られるのだとしたら、今それを忘れてふたり寄り添い眠ることは
本来ほめられるべき行為じゃないかもしれない、でも。
それは、まだ地球にはっきりとした夏があった頃の話だ。
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