487 名前:名も無きAAのようです :2016/02/21(日) 02:36:34 ID:K0Dfv0VQ0


        Place: ―
    ○
        Cast: 都村ミセリ 都村トソン

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488 名前:名も無きAAのようです :2016/02/21(日) 02:37:23 ID:K0Dfv0VQ0

 幸福な微睡だった。

 頬に、腕に、胸に感じる、自分とは違う体温。
 はっきりしない意識で、少し強く抱きしめる。

 静かに続く寝息に、「んん」と声が混じった。
 もぞもぞと動く。
 これ以上ないというくらいにひっついているのに、さらに近づこうとする。
 肌が擦れ合う。堪らなく愛おしく、彼女の頭に顔を押し付けた。

 人の臭い。
 シャンプーの残り香と、汗と皮脂の混じった、ほんのり塩気と苦みのある甘い香り。
 幸せが胸の中にじわじわと広がってゆく。

 薄い毛布が一枚。
 少し肌寒い、雨模様の夏の朝。
 服を纏わない互いの体の熱が、めまいがしそうなほどに心地いい。

 掌で体を撫でてやる。
 瑞々しい肌。触れているこちらの方が気持ちよくなってしまう。

 この柔らかい幸せの塊を、壊さないよう、傷つけないよう優しく。優しく撫でる。
 孤独を融かし尽くして、柔らかな日だまりを思い出させてくれる彼女を、
 自分からすれば刹那の間に老い朽ちる彼女を、少しでも長く傍らに置けるよう。


  「ミセリ」


 小さな声が、胸元で紡がれた。
 寝ぼけている。軽やかな鈴のような声に少女の甘さが混じっている。

489 名前:名も無きAAのようです :2016/02/21(日) 02:38:17 ID:K0Dfv0VQ0

  「どうしたんです?」

  「なんでもないさ。なんとなくだよ」


 この心の穏やかさを、なんと言葉にすれば伝わるだろうか。

 心臓の拍動のほんの少し横で、一緒になって脈を打つ、愛しさの感情。
 惜しみなく注いで良い。躊躇わず受け取ってよい。

 怯えた野良猫の心はもう消えた。
 孤独を感じる必要などもう失せた。
 首輪の要らない、代償の要らない、愛していい人を見つけたのだ。


  「…………したいんなら、良いですよ」

  「まだ朝だよ」

  「本来、貴方にとっては夜みたいなものでしょう」


 耳を澄ます。
 鼓動が体を伝わって聞こえる。
 窓の外で、しとしと雨が降っている。

 なんて明るい夜だろう。
 なんて怖くない夜明けだろう。

490 名前:名も無きAAのようです :2016/02/21(日) 02:39:13 ID:K0Dfv0VQ0

 吸血鬼になってからずっと、なる前からも。
 夜明けは一人でいることが普通だった。

 どれだけ人を騙して連れ帰っても。
 ホテルの一室で、男女問わずに床を共にしても。
 夜が明ければ独りだった。
 光が全てを明かしてしまえば、何もかもが終わりだった。

 時には、吸血鬼と知ってなお離れていかない者もいた。
 しかし捕食者と肉という関係性は、人の精神を容易く疲弊させる。
 結局、それまでのようにはいかずに、ほどなくして破綻した。

 いつも一人だった。
 心の凍えに、ぬるま湯をかけて温めてやるけれど、すぐに冷めて余計に寒くなる。


  「……あんたにとっちゃ朝でしょ。もう少し寝な、私も寝るし」

  「実を言うと」

  「ん?」

  「あなたに触られていたら、なんだか、その……」

  「……」

  「したく、なってしまいまして」

491 名前:名も無きAAのようです :2016/02/21(日) 02:40:57 ID:K0Dfv0VQ0

  「昨日したばっかりなのに?」

  「昨日、貴方が途中で寝ちゃうから」


 恥ずかしげな声で、胸に顔を押し付ける。
 頭を撫でてやる。腰に回された手の力が強くなる。

 体を剥して、顔を見た。
 昨日半端にして眠りに落ちたせいか、髪が乱れたまま。
 恥ずかしげに、うるんだ目でこちらを見上げてくる。

 心臓が焼け付いてしまう。
 堪らなくなって、顎に指を添え、顔を寄せた。
 驚きを見せるが、すぐに目を閉じて受け入れようとする。


  「あ、やっぱりだめです」


 触れる寸前で顔を逸らした。
 ちくりと寂しくなる。この程度で寂しがった自分に、少し戸惑う。


  「嫌だった?」

  「嫌っていうか、寝起きですし、口臭いかも……」


 強引に唇を奪う。
 最初は拒もうとしたが、すぐに舌が柔らかくなる。

492 名前:名も無きAAのようです :2016/02/21(日) 02:41:52 ID:K0Dfv0VQ0

  「いつものトソン」

  「……まったく」


 本当は、頭が惚けているだけで、今回もほどなくして終わっていしまう温もりなのかもしれない。
 絡み合っているのが依存心ばかりだということは、自覚している。
 欠けている自分の何かを都合のよい誰かに求めているだけ。
 お互いを摺りつけ合って摩耗して行くだけの関係性。

 楽で、怠惰で、温かくて、震えるほどに満たされている。
 いつか来る淋しさばかりの終焉など気にならないくらい。

 これで良い、と思える過ち。
 このままがいいと願う誤り。
 
 冷静なフリをする脳みそは、きっともうすでに熱にうなされている。
 元々冷たいこの身体に、彼女の体温は愛し過ぎる毒だから。


  「ねえ、トソン」

  「はい」

  「たまには、トソンにリードされたい」

  「…………」

  「だめ?」

  「いいでしょう。頑張ります」

  「ほどほどにな」

493 名前:名も無きAAのようです :2016/02/21(日) 02:42:51 ID:K0Dfv0VQ0

 いつか彼女に、別れを告げる日も来るだろう。
 永遠に一緒に居るなんて、迂闊なことは言えないから。

 それでも、今は共にある。
 触れあい。舐めあい。侵しあい。赦しあう。
 刹那で去ってゆくこの時間を、悔いの一片も残さずに貪りつくす。


  「…………どう、ですか?」

  「……そうゆうこと、一々聞かないの」

  「仕方がありません。あなたがお手本なんですから」

  「…………っ」

  「声、上げないんですか」

  「生意気」


 頭の中に咲いた白い花の香りに酔いながら、掌に触れる髪を撫でて。
 あばらの檻に閉じ込められた心臓が打つ鼓動を数えて。
 擦れ合う肌から一つに融けるような錯覚に惚けて。

 この空気に、心地に、干渉に酔って溺れる自分たちの体を強く強く結びつけ合う。
 依存してしまうことを恐れない。傷つけあうことも恐れない。
 血流にのって全身を侵すこの麻薬のような感傷を受け入れる。

 どうせ足掻いたところで、絡まった糸が解れることはないのだから。
 共に抱いた蓮の花が散るまでの短い生涯を、精々美しく生きるしかないのだから。


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